TALK

民主主義を沖縄から問い直す。沖縄で活躍する若き弁護士・神谷誠人、そして小口幸人と考える基地問題

〜#自由に生きちゃダメですか Vol,4 神谷誠人×小口幸人×かめいし倫子〜

プロフィール

  • 神谷誠人

    神谷誠人

    1961年、滋賀県彦根市生まれ。1985年司法試験合格、1986年京都大学法学部卒業。1995年大阪で雄勁法律事務所(現:ヒューマン法律事務所)開業。これまで弁護団として、第1次~第3次嘉手納基地爆音差止め訴訟や、「らい」予防法違憲国賠訴訟(元患者本人)、中国残留孤児国賠訴訟(大阪)などを手がける。

  • 小口幸人

    小口幸人

    1978年、東京都町田市生まれ。2001年中央大学を卒業後、電機メーカーで営業職を務めるも一念発起して2003年大東文化大学法科大学院に入学。2007年司法試験合格。東京、岩手県宮古市で活動後、東日本大震災発生後は被災者支援活動に尽力。2016年沖縄で南山法律事務所を開業。

自由に生きちゃダメですかーー。政治家を目指すかめいし倫子が社会課題に真剣に向き合い、考える対談シリーズ。第4弾は、辺野古の埋め立ての問題で揺れる沖縄で活躍する弁護士、神谷誠人さんと小口幸人さんです。お二人は沖縄の米軍嘉手納基地の周辺住民が、国を相手取って夜間・早朝の米軍機の飛行差し止めと騒音被害に対する損害賠償を求めた裁判の原告団として関わっています。沖縄での弁護士経験の中でお二人は、戦後、沖縄の人々が自らの手で勝ち取ってきた民主主義の力に遭遇し圧倒されます。どんな相手でも諦めずに声をあげ、行動すれば社会は変わる。ダメなものは、ダメだと言い続ける。改めて民主主義とは何かを考えさせられました。

本土と沖縄を隔てる溝。沖縄の歴史を日本人として学び直す意義とは

亀石

神谷先生の沖縄との関わりは「嘉手納爆音訴訟」がきっかけですよね。

神谷

はい。今から31年前、米軍嘉手納基地(沖縄県嘉手納町など)の周辺住民が、国を相手取って夜間・早朝の米軍機の飛行差し止めと騒音被害に対する損害賠償を求めたのです。この裁判に関わったのがきっかけでした。

亀石

第一次訴訟の原告は何人だったのですか?

神谷

906名です。提訴したのは沖縄が日本に復帰して10年目の1982年でした。最初の判決が出たのが1994年なので、およそ12年かかりました。当時、駆け出しの弁護士だった私は法廷には出ず、陳述書をとって回るのが仕事でした。確か、60人以上の人に話を聞いたと思います。

亀石

原告が900人近くもいると、話を聞いたり、陳述書を書くだけでも大変ですね。私には想像もできない壮大な裁判です。沖縄の人たちの話を直に聞いて、先生の中で沖縄に対する見方など、なにか変化はありましたか?

神谷

最初は戸惑いました。というのも「陳述書を取りたいから、会ってくれないか」と、事前にアポを取るわけですね。すると「この日は用事が入っているからダメだ」とか言って、全然会ってくれないんです。当時、私は大阪に住んでいましたからね。全くアポがとれない状態で沖縄に行くわけですが、実際に家を訪問すると「いない」と言っているのに、実はいるんです。

亀石

なぜ積極的に会ってくれようとしなかったのでしょう。

神谷

当時の沖縄には、本土との間にまだ距離があったのです。見知らぬ本土の弁護士ということで警戒されたんですね。けれども、沖縄の人は、実際に会うと「よう来た」と言って、家に招き入れてくれました。お菓子や食事まで出して歓迎してくれる。それでも、腹を割って、本音で話をしてくれるようになるまでには、相当な時間がかかりました。

亀石

なるほど。そうして、1994年2月に一審の判決が出るんですよね。当時、沖縄の基地問題に関連した裁判は、訴えた住民側が負け続けていました。弁護団として、勝つ見込みはあったのでしょうか?

神谷

「極東最大の基地」のある嘉手納で、米軍機の飛行に対する損害賠償が認められるのかどうか、全くわかりませんでした。そんな中、一審の判決はエリアこそ狭かったですが、賠償が一部認められたのです。私たちは歴史的な勝訴だと喜びました。当時、私は判決後に「勝訴」と書かれた旗を持って、原告団が控える地裁のロビー前に駆け出してゆく「旗持ち」を任されていました。勝訴を受け、喜び勇んで駆け出していったのですが、原告の方々の反応は、私たちとは違っていました。

亀石

原告のオジィ、オバァは喜んでいなかったということですか?

神谷

はい。彼らの表情は「がっかり」でした。怒るでも泣くでもない。後日、ラジオのニュースから、「なぜ止まらない、なぜ差し止められない」「まだこの爆音が続くのか」とすすり泣くおばぁの声が流れました。その時、「俺は弁護団として何をしてきたんだ」と思いました。彼らが真に求めているのは損害賠償ではなく、基地に悩まされることのない穏やかな生活だからです。判決後に喜び勇んで駆けて行った自分が、ものすごく恥ずかしくなりました。真剣に沖縄について勉強しなければと思った瞬間でしたね。

沖縄に基地があるのではなく、基地が沖縄を作っている。生活の中に息づく民主主義との出会い

亀石

小口先生は弁護士になる前から沖縄と関わりがあったのでしょうか?

小口

私は東京生まれ、東京育ち。いわば沖縄の犠牲の上に成り立ってきた「日本の平和」を享受してきた側です。弁護士になる前、ロー・スクール時代に弁護士試験に合格し、初めての実務修習で初めて沖縄に行きました。驚いたのは沖縄では毎日、地元紙の一面に必ず基地に関係する記事が掲載されていたことです。

亀石

毎日ですか?

小口

そう。本当に毎日ですよ。私はちょうど30歳でした。もちろん、沖縄に基地があるということは知っていたし、「普天間」という名前も聞いたことがありました。けれども、いざ行ってみると普天間基地は、沖縄にある基地のごく一部に過ぎないと気づいたんです。沖縄を南北に貫く国道58号線(通称・ゴッパチ)沿いには、延々と鉄条網が貼られています。どこまでも基地が続くのです。あまりにも勉強不足で、自分が情けなくなりました。

亀石

日本にある米軍基地の75%が、沖縄に集中しているという現実は、行ってみないと実感しづらいですよね。

小口

はい。その一方で、沖縄に根付く「民主主義」の精神には驚かされました。ただ基地があることを嘆いているだけではない。基地に限らず「私が主権者なんだ」と声をあげている人が大勢いたのです。一般の市民ですよ。居酒屋で飲んでいても、向こうのテーブルでは、若い衆が「こないだの県民集会がさ」と政治の話をしている。衝撃でした。弁護士として、やりがいのある土地だと実感しましたね。修習生時分のこの経験から、実力をつけて、いつか沖縄にどっぷり浸かろうと決めました。

亀石

そうだったんですね。それで一旦、沖縄を離れて勉強し、嘉手納爆音訴訟に関わることになるんですね。

小口

はい。結局、再び沖縄に関わることになったのは、弁護士になって9年目でした。私の目から見ると沖縄の人たちは筋が通っているんですよ。日本は民主主義国家。だから、日本の裁判所を通じて米軍機の爆音や夜間飛行を差し止められるのは当然だろう。この国で暮らす人は、自らの意思で物事を決める権利を持っている、と。その事実が浸透しているんです。

亀石

当たり前のことですが、今の日本でそれを体現することは難しい。

小口

沖縄の人々は、ただ口で言っているだけではありません。多くの人を巻き込んで集会もするし、時には米軍基地のゲートの前で抗議の座り込みもする。私たちが教科書で学ぶ「表現の自由」をちゃんと行使するのです。

亀石

なるほど。その一方で裁判を始めた頃は「人権感覚」に敏感な弁護士が少なかったと言われていますね。

神谷

はい。私が裁判を始めた頃は「反基地」という活動はしにくかった。基地がないと沖縄の暮らしが成り立たないという感覚が、沖縄全体で強かったからだと思います。けれども、時代とともに北谷町や読谷町などの土地が返還され、商業施設がずらりと並ぶようになって、それで初めて、基地がなくても経済活動ができるんだ、という実感が広がったんだと思います。

亀石

基地に依存する島と言われています。住んでいる人に葛藤があって当たり前ですよね。

神谷

1996年、少女暴行事件がありましたよね。あの時、普天間を返還しろという動きが起きたのですが、当時の新聞をみると「基地はあった方がいいんじゃないか」という論調と「基地はなくすべきだ」という論調が半々でした。それが大きく変わるのが鳩山政権ですよ。この時から沖縄タイムズも琉球新報も、こぞって「基地はいらない」と言い出した。一国の総理大臣が初めて「最低でも県外」と言った時に沖縄の人たちが「あ、基地は沖縄でなくてもいいんだ」と思いはじめた。それもすごく大きかったですね。

沖縄の人と話していると「あの鳩山さんの言葉に目が覚めた」とか「勇気づけられた」という人が結構多いのです。戦後、経済的にも観念的にも米国からは離れられないと思っていた沖縄の人が、沖縄本来のあるべき姿に気づき、発信を始めているんです。沖縄タイムス、琉球新報という2つの地元紙が、こんな小さな島で同じ論調だったら普通は売れなくなりますよね。それでも、売れ続けているということは、沖縄の人々の胸にくすぶっている思いに、地元紙が寄り添っているのだと思います。

自らの手で民主主義を勝ち取った成功体験。どんな理不尽な仕打ちを受けても沖縄の人が諦めない理由

亀石

なるほど。沖縄の人が「沖縄だけに基地が集中しているのはおかしいんだ」と気がつき、希望をもって声をあげているにも関わらず、結局、国はその声をすくい取っていません。県知事選を経て、辺野古への新基地建設反対を旗印に、デニー知事が誕生しても、結局、国は沖縄の声を無視し、どんどん辺野古の海に土砂を投入している。その光景を見て、やっぱり国には敵わない、とあきらめてしまっている人もいるのではないでしょうか?

小口

沖縄の人はもう、さんざん戦っているのです。県知事選もそうだし、県民投票もそうだし、ずっと「反対」と言い続けている。当初、私も沖縄の人はどうして諦めないのかと思っていましたが、沖縄の歴史に触れると、その理由がわかりました。沖縄は米軍に統治されてきました。国家ではなく軍にですよ。軍人による女性へのレイプ事件や暴行事件は後を立たない。沖縄に駐留している米軍は、沖縄の人々の人権を保障する気はない。

そんな軍の統治下でも、人々は抗って、抗って、抗って。そして、「必ず復帰する」と声を上げ続け、実際に沖縄は本土復帰を果たしました。諦めなければ必ず民意は実現するという成功体験がある。だから、本土の人たちとは根性が違いすぎますよね。

亀石

自分たちで勝ち取った民主主義だから、ということですね。

神谷

福島の原発事故で故郷を奪われた人が、沖縄に勇気づけられたという話を聞いたことがあります。つまり、辺野古を諦めない人々の姿が希望なんです。正直なところ、どんなに土砂が投入され、基地は建設されてしまっても、沖縄の人は屈しないと思う。他県の人々は「やっぱり本土には逆らえないんだ、この国は」と思っているかもしれませんが、沖縄はそう簡単には屈しないし、変わらないと思います。

亀石

「どうせ、本土の人は沖縄には関心がないのだろう」と、私も言われたことがあります。これだけ沖縄に負担を押し付けているのに、そもそも「県民投票」や「県知事選」に勝利しても、本土のマスコミは取り上げません。でも、これは日本全体の問題であり、日本の外交問題でもありますよね。

小口

日本人はどこかで、沖縄に基地を押し付け、負担を強いているという自覚はあるんですよ。でも直視したくない。だから、基地があることで経済が潤っているなどと言って、自分たちを正当化しているんだと思います。あるテレビ記者から聞いたのですが、沖縄のことをニュースで取り上げると「視聴率が落ちる」と上司から言われたそうです。自覚がある証拠だと思います。

亀石

ダメなものはダメと言い続けないといけないんですね。

神谷

沖縄の問題は日本の主権の問題です。その根幹が日米地位協定なんですが、「アメリカは日本のどこにでも自由に基地を作って、そこを自由に使いたい放題にして、そのまま放置して帰って良い」という内容なんです。仮に本土防衛のために日米安保が必要だ、米軍基地が必要だ、と政府が結論づけたとしても、結局、米国はやりたい放題。そして、日本は何にもできない。事故が起きても真相究明は叶わず、お願いを続けるだけ。事故後もどんどん飛び立っていく。そういう状態が続いていることが、そもそも主権国家としておかしくありませんか?

亀石

安倍総理のトランプ大統領に対する態度を見ていると、本当に日本がアメリカの属国であるかのような錯覚を覚えます。「なんで日本がそこまで媚びへつらわなくてはならないのか」と思っている人も多いのではないでしょうか。

小口

私が中学生くらいの時、「NOと言える日本人」というのが流行ったような。

亀石

ああ、あった!

小口

沖縄はもう、県民投票という最強のジョーカーを切ったんです。明白にNOと言ったわけですよ。けれども、政府は「沖縄の民意を無視しても、支持率は下がらない」とたかをくくっている。福島の問題もこれと同じ構造です。しかし、支持率に影響してくれば、彼らも対応せざるをえなくなる。結局のところ、日本は民主主義国家ですから、一番力を持っているのは日本国民です。おかしいと思ったら、おかしいと声をあげること。あげられる社会であることが大切だと思います。

亀石

ありがとうございます。すごくいい話を聞かせてもらいました。私が政治の世界に挑戦すると決めた理由のひとつは、沖縄だけに問題を押し付けているのはおかしいという思いがあったからなんです。この現状を変えるために声をあげよう、立ち上がろうと決意しました。大阪の人にも、大阪以外の人にも、そういう風に訴えていきたいと思います。

沖縄の基地問題に取り組むお二人。県民と接しながら感じた生活に浸透する民主主義の姿から、沖縄のこれまでの歩みや本土との温度差について考えました。第五弾は芥川賞の受賞歴もある小説家・平野啓一郎(ひらのけいいちろう)さんが登場。時代の空気を小説に落とし込むとはどういう営みなのか?社会の構造にまで目を向ける視野や、個人としての政治参加について、かめいし倫子と考えます。